致知出版社偉人メルマガより
ヘレンケラーが絶賛したある日本人の人生。
「一念、道を拓く」
その少女の足に突然の激痛が走ったのは三歳の冬である。
病院での診断は突発性脱疽。 肉が焼け骨が腐る難病で、 切断しないと命が危ないという。 診断通りだった。 それから間もなく、 少女の左手が五本の指をつけたまま、 手首からボロっともげ落ちた。 悲嘆の底で両親は手術を決意する。 少女は両腕を肘の関節から、 両足を膝の関節から切り落とされた。 少女は達磨娘と言われるようになった 少女七歳の時に父が死亡。 そして九歳になった頃、 それまで少女を舐めるように 可愛がっていた母が一変する。 猛烈な訓練を始めるのだ。 手足のない少女に着物を与え、 「ほどいてみよ」 「鋏の使い方を考えよ」 「針に糸を通してみよ」。 できないとご飯を食べさせてもらえない。 少女は必死だった。 小刀を口にくわえて鉛筆を削る。 口で字を書く。 歯と唇を動かし肘から先がない腕に 挟んだ針に糸を通す。 その糸を舌でクルッと回し玉結びにする。 文字通りの血が滲む努力。 それができるようになったのは 十二歳の終わり頃だった。 ある時、近所の幼友達に人形の着物を縫ってやった。 その着物は唾でベトベトだった。 それでも幼友達は大喜びだったが、 その母親は「汚い」と川に放り捨てた
それを聞いた少女は、 「いつかは濡れていない着物を縫ってみせる」 と奮い立った。 少女が濡れていない単衣一枚を 仕立て上げたのは、十五歳の時だった この一念が、その後の少女の人生を 拓く基になったのである。 その人の名は中村久子。 後年、彼女はこう述べている。 「両手両足を切り落とされたこの体こそが、人間としてどう生きるかを教えてくれた最高最大の先生であった」 そしてこう断言する。 「人生に絶望なし。 いかなる人生にも決して絶望はない」
真我の実践、真我の和解、真我の拡散